※「をかし」は、景物を感覚的に捉え、主知的・客観的に表現する傾向を持ち、それゆえに鑑賞・批評の言葉として用いられる。 この美的理念に基づき記されたのが『枕草子』である。 そのため『源氏物語』を「もののあはれ」の文学と呼び、一方『枕草子』を「をかし」の文学と呼ぶ。※
※もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。 折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。 苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている。※
現代語では『源氏物語』はあわれな文学で、『枕草子』はおかしな文学。ということになり、まことに、あわれで、おかしこと、になってしまいます。「あわれ」とは詩情、抒情のことでしようか。無常ということでしょうか。「をかし」とは「おもしろい」「カワイイ」「これはアリ」「イケてる」「ヤバイ」という意味でしょうか?
日本人は、あわれ。をかし。という表現形式を失ってしまいました。私が詩歌に固執するのも、「あわれ」と「をかし」を表現しようとすることかも知れません。もっとも、私には「あわれ」が決定的に不足していて。「をかし」で詩歌を書いているところがあります。
特に最近の詩は「供述調書的」になっていて、第三者には知りえない「秘密の暴露」となっていることが多い。作中で嘘を書くことも多いのですが、「供述調書的」でないと気が済まない。
いとをかし
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