文学

2016-06-22 14:25:10


蚊を打って大文学を作らんと    克弘

作為的庭の川より夏の海      成功者K


こういう喧嘩は好きだな。


庭の川夏の海より作為的      風


これじゃ、買い過ぎか・・。これ逆に並べると良いかも。


庭の川夏の海より作為的

蚊を打って大文学を作らんと 



南無阿弥陀仏。

俳句や短歌はは一瞬を切り取るから面白い。小説やマンガは長いから面白くなければ読めません。え、それじゃ直木賞に成っちゃうって??。否々。夏目賞を新設すればいい。

鷹俳句会ホームページ/今月の鷹誌から秀句の風景

秀句の風景                小川軽舟  苦参(くらら)咲く磧に雨や晴子の忌   岸  孝信  忌日は行事の季語である。本来は忌日に故人を偲ぶ行事が催されてこそ歳事になる。しかし、いつしかひとりその人を心に思うことも忌日俳句として詠まれるようになり、むしろそれが主流になった。行事を離れた忌日俳句はきわめて個人的なものである。読者の共感を得ようとあせらず、まずは作者自身の気持ちに素直になることが大切だと思う。  苦参はマメ科の植物でクサエンジュの別名がある。黄緑がかった白い花はそれなりに目立つが、どこかそのことを恥じているような風情がある。作者はそんな花の咲く雨の磧に晴子さんの面影を見た。晴子に苦参の句があるわけでもない。ただ、作者がそう感じたまでのことである。  にもかかわらず、私はこの句を晴子さんらしいと思う。作者の素直な気持ちが作品を通して素直に伝わる。観光とは無縁の場所を一人で吟行した晴子さんのスタイル同様、作者自身の足で見つけた晴子忌の風景だと思うのだ。   蚊を打つて文殊の智慧をたのみけり   石原由貴子  文殊菩薩は仏の智慧を象徴する。智慧とは煩悩を払って悟りを開く叡智。煩悩に苦しむこの句の主人公は一心に文殊菩薩に祈るのであるが、煩悩そのもののように蚊がまとわりつく。座禅の警策は文殊菩薩の手なのだとか。蚊を打つ響きは自らを励ます警策とも見える。  作者は仲間と日本三文殊の一つである天橋立の智恩寺を詣でたらしい。その甲斐あっての嘱目なのだが、背景を離れれば「三人寄れば文殊の智慧」とばかりに仲間で無い知恵を絞り合っている場面とも読める。仏教の聖と俗に通じた石原さんらしい間口と奥行のある作と感じた。   片白草魚に声のなかりけり       大西  朋  なるほど魚には声がない。しかし、それだけだったら理が勝った句という印象を拭い難い。手柄は片白草の取り合わせに尽きると思う。これによって一句は理屈ではなく描写になったのだ。鮠とかとかのコイ科の淡水魚を想像したい。時折白い腹をひらめかして音もなく翻りながら水中に群れている。水辺の片白草が魚たちの様子をそのまま写したようみ見える。半夏生と言わず別名の片白草を用いたことも効果的。水辺の涼味を捉えて、どこか幽邃な気分の漂う一句である。   手

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