異邦人


 小6の頃だったろうか、母が死んだ夢を見た。ちっとも、悲しんでいない自分を見つけた。そのことは長い間、トラウマになった。


 高校の時、カミュの異邦人を読んだ。『今日、ママンが死んだ。あるいは昨日だったかもかも知れない』だったかな。小説中に『健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ』という文があるそうだ。


 私のすべてを守ってくれていた母の死を願うことなどあろうはずもない。この答えはしばらくしてから出た。妻と母といわば二人の女性に愛されることになった私は妻と家を出ることを決意した。その時、少し思った。『子供はいつか親の元を巣立って行かなけばいけない』ものだと。


 異邦人と言う言葉にはその後、何回か出会った。時々、自分が異邦人ではないかと思い知らされることがある。もともとの性格で駆け引きが出来ない。本音と建て前の使い分けが下手だ。それが平気で出来る人を見るとびっくりする。それで 深い付き合いが出来なくなる。


 母は本音で話せる人では無くなった。母が死んでも涙が出ないかも知れない。悲しいことだがそれが現実だ。ぼくはエゴイストだろうか。しかし、悲しみの正体とはなんだろう。その人がいなくては自分が困るから泣くのではないか。冷酷な言い方をすれば、だから人は涙を流す。


 それだけではない。社会儀礼的な涙というのもあるのだろう。いまさら、小説を読み返す気はしないが、悲しみの表現形式は人それぞれで、それを常識的な範疇で語ることなど無意味だろう。


 母の死をムルソーが悲しまなかったからと言って、反社会的であると断罪されるのだった気がするが、あの小説の書き出しには、ムルソーのやり場のない悲しみが、十分に表現されていた。儀礼的にもせよ、母の葬儀で泣ければ、立派な社会人だったのだろう。


今 日,マ マ ンが 死 ん だ 。 あ る い は昨 日 だ っ た か も知 れ な いが,わ か ら ない 。 老人 ホ ー ム か ら電 報 を受 け取 っ た。 「ハ ハ ウ エ ゴ セ イ キ ョ。 マ イ ソ ウ ア ス 。 アイ トウノイ ヲ ヒ ョウ ス。」 こ れ で は な に もわ か ら ない 。 多 分 昨 日だ っ た の だ ろ う。

  老 人 ホ ー ム は,ア ル ジ ェ か ら80キ ロ の マ ラ ン ゴ に あ る。 二 時 の バ ス に 乗 れ ば,午 後 の う ち に着 くだ ろ う。 そ うす れ ば,お 通夜 を して,明 日 の夕 方 に は戻 れ る。 社長に二 日間 の休 暇 を願 い 出 た 。 事 情 が 事 情 だか ら断 れ な い はず だ 。 しか し,彼はい い 顔 を しな か っ た。 「ぼ くの せ い じ ゃ な い ん で す か ら」 と さ え 言 っ た 。 返 事 は なか っ た 。 そ の時 思 っ た の だ が,こ ん な こ と は言 うべ きで は な か っ た 。 結 局 の と ころ,弁 解 す る必 要 な ど なか っ た の だ。 む しろ社 長 の方 こそ,お 悔 や み を言 うべ きな の だ 。で も明 後 日,喪 に 服 して い る ぼ くを見 れ ば,多 分 そ うす るだ ろ う。 い まの とこ ろ は,マ マ ンは ま だ死 ん で い な い と同 じ よ う な もの な の だ 。 葬 式 が 終 れ ば,反 対 に,は っき り と認 知 され た 出 来 事 と な り,す べ て は もっ と公 的 な様 相 を帯 び る だ ろ う。

  二 時 の バ ス に乗 っ た。 とて も暑 い 日だ っ た。 い つ もの よ う に レス トラ ン 「シ ェ ・  レス ト」 で昼 を食 べ た 。 み ん な は とて も気 の毒 が っ て くれ,セ レス トは 「お 袋 って の は ひ と り しか い な い か らな あ 」 と言 っ た。 店 を 出 る と き,み ん な が ドア ま で 送って くれ た。 ブ ラ ック タ イ と腕 章 を借 りる た め に,エ マ ニ ュ エ ル の 部 屋 まで 階段 を上 らね ば な らな か っ た の で,少 し気 がせ い て い た 。 彼 は 数 カ 月前 に叔 父 さ ん を亡 くしていたのだ。

                         2002.10 清 多 英 樹 訳