ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかし、アウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。
ヘーゲルの弁証法は、ソクラテスの対話と同じように、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。
(ウィキペディア より)
例えば
1. テーゼ(命題):日本人は優しい
2. アンチテーゼ(反対命題):日本人は優しくない
3. ジンテーゼ(総合命題):日本人には優しい人もいれば、優しくない人もいる
これは正しい例示では無いと考えます。
1.テーゼ:地球は明るい
2.アンチテーゼ:地球は暗い
3.ジンテーゼ:地球は自転しており明るいところも出来れば暗いところも出来る
自転しておりと言う新しい知見が無ければジンテーゼは生まれ得ないと思います。
ヘイトに関してある弁護士は
ヘイトはマジョリティがマイノリティに行うものだをテーゼとして論理展開します。
一見、正しそうです。しかし、そうでしょうか?
定義 :ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは、人種、国籍、思想、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、さらには他人をそのように扇動す る言論等を指す。 憎悪表現が”地域の平穏を乱すことをもって規制されるべき”と議論する場合には「憎悪を煽る表現」とも呼ばれる。
ここにはマジョリティもマイノリティ出てきません。
すでに解決しているジンテーゼに対するアンチテーゼにもなっていません。
この議論のアンチテーゼは簡単に例示できます。
富裕層(マイノリティ)の大衆(マジョリティ)へのヘイト。
ヘイトを新たに定義するならば、従来の定義のアンチテーゼで無ければならないと思います。
テーゼは誰でも提示できます
アンチテーゼは誰でも主張できます
しかし、真のジンテーゼは違うと思います。
単に地球には明るいところもあれば暗いところもある
では論理学の限界を示すのみでしょう。
新しい知見もない、アンチテーゼを含まない、ジンテーゼも私にはあり得ません。
科学の分野ではテーゼは仮説あるいは通説と表現されるのでは無いでしょうか?
アンチテーゼは反論です。
ジンテーゼは新しい知見がなされるか有力な反論がなされない場合でしょうか。
例
テーゼ:焼酎を飲まないと空容器での次の実験が出来ない
アンチテーゼ:深酒は体に悪いから実験を延期すればいい
ジンテーゼ:炭酸水の空容器に焼酎を移して少しづつ飲めばいい
(笑)
ここから新しいアンチテーゼが生まれ
もっと良いジンテーゼ生まれる。
これが弁証法の本質でしょうか?。
資本主義のアンチテーゼとして社会主義が生まれジンテーゼとして共産主義が生まれる。
だったかな??
正しい弁証法ではない気がします。
少なくとも上記で説明した弁証法では無いでしょう。
何故なら共産主義が生まれた瞬間にアンチテーゼが生まれなければならないからです。
社会の発展形態の最終段階が共産主義だというのは、
弁証法ではありません。
まして、社会が未発展なのに、暴力革命で達成しようというのは
弁証法の否定です。
歴史が証明しています。
さて、私がどれくらい弁証法に詳しいかというと・・・。
それは秘密です。(笑)
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