正義について

2017-11-23 13:00:51


 正義について考えてみる。正義は相対的なものという論点でだ。50年前に、私に傷害を負わせた生徒たちの正義とは、遊泳禁止地域で泳いだことを、先生にチクったことだろう。先生の誘導尋問に乗ったとはいえ、私も2-3発殴られることは覚悟していた。それが私の正義でもある。


 彼らが血の饗宴に酔って暴行傷害事件を起こしたことは不正義である。人間は、ジェノサイドを行うことができる、唯一の生物だ。無抵抗なんて、何の力にもならない。


 学校の正義とは、学校に相談していたら、加害生徒も被害生徒も、適切に指導できた。警察に訴えた父が悪いという事だろうか。


 父の正義とは、喧嘩の範囲を超えており、学校に訴えれば握りつぶされるので、警察に通報した。その結果、私は学校側から壮絶なイジメ、暴力を受けた。イジメを受けた生徒は学校にセカンドレイプされる。で少し書いた。


 私の正義とは、喧嘩の域を超えた暴力、に対する学校の隠ぺい体質は許せない。だから、警察に真実を話し、学力テストで一番を取る。正義と正義がぶつかり合って、私の正義が勝った。大変だった・・。その結果、いい意味で人生が変わった。勉強で喧嘩するほうが面白かった。


 相撲協会や、池坊保子氏の相撲界には相撲界の法律がある。みたいな発言にはものすごく反発する。「組」の掟が法律に優先するなんてヤクザだ。当時の私の学校の教務室も、同じ論理で、今の相撲界と全く変わらない。多分、今も変わらない。


 暴力により肉体的な障害を受ければ明確な暴行傷害事件でしょう。それが日本の、世界のルールだ。一方で精神的な暴力はどうか?。うつ病等ははストレスによって脳が障害を受けることが知られ始めている。


 過度な残業を強要することは暴力だろう。暴力を受けたら、泣き寝入りしても、問題の本質は変わらない。しかし、力の伴わない正義なんてない。どのような正義の力を使うかは本人の戦略だろうか。社会の規範作りだろうか?。判らない。