うつくしさ



 アイデアが浮かぶと、まず、必要な機能を全部盛り込む。次に美を追究する。これは「巧み」と言い換えた方がいいのかも知れないが、ともかく、ひとつの機能を充足するある形が存在すると思うのである。


  例えば高山植物は高山でこそ美しい。平地に植えられた彼女らは、とても、薔薇やコスモス達にかなわないのである。大輪の薔薇は絶対に自然界では生きられない美しさがある。秋晴れの野に咲くコスモスの群落の美しさ。

  僕にとって「美」とは、あるいは「うつくしさ」とは必死に生きているとか、完成されたとか、巧みであるとかいろいろあるのだが、アイデアが浮かぶとデザインを求めて苦しむ。多くのアイデアがここで消滅する。そして実験する。すると思わぬ事実に巡り会う。


 そこから、また、アイデア→デザイン→実験と続くのである。

 デザインのまま放置して後に誰かが商品化した例は多い。 「しまった」と思うのだが、色々な事情があったりする。 実験資材を買い求めることすら困難なことが多い。

                   2006.2.1日記より

 

※ 美しいものはまだ開発できていない。

  せめて、うつくしきもの、を作りたいものだ・・・。

  「うつくしきもの。瓜(うり)にかきたるちごの顔」 ※